A LifeWalker's Record(Harf)

なんでもあり?なブロクです。基本的にはおでかけの記録を書いていきます。

愛知から茨城まで「一都三県」を通らずに帰ってみた

2021.1.10

けましておめでとうございます。

新年早々、緊急事態宣言が、東京・神奈川・埼玉・千葉(以下、一都三県と呼びます)に再発令されました。とりあえず政策が云々ということは置いておきますが、1つ大問題がありました。

私は年末年始、水戸から豊田へと帰省していました。(おいダメだぞ!)そして、いろいろとやることが重なって水戸に戻るのが7日以降になるのが確定してしまいます。一方で、13日には対面での大事なプレゼンがあるので、水戸には確実に戻らなくてはなりません。最低限、一都三県を通らずに帰れば、少しはリスクも減るのではないだろうか…と考えました。

できるだけ時間をかけず、無駄な行程も少なめで、東京経由のいつものルートと比べてお金がかかり過ぎないように…と考えた結果、今回紹介するようなルートとなりました。それでは、ちょっと変なルートでの水戸への帰還の記録をお楽しみください。

 

11:30頃

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高蔵寺駅

今回の旅は、高蔵寺駅から始まります。実はこの時点で、寝坊により2時間の遅れが生じております。本来は、三河豊田から愛環で高蔵寺へ向かい、9時台の列車で多治見へ向かう予定でしたが、親に高蔵寺まで送ってもらいここからJRに乗ることになりました。

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きっぷ

今回使う乗車券はこちらです。ルートが少々面倒なので、特急券ごとe5489で予約しておき、高蔵寺駅で受け取りました。運賃は8030円で、岡崎から東海道線常磐線を経由するよりも600円ほど高いです。

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特急券

特急券類もまとめて紹介してしまうことにします。長野駅で特急しなのから北陸新幹線に乗り継ぐ場合は、金沢方面でも東京方面でも乗り継ぎ割引が効くので、本来2420円のしなのの自由席特急料金が半額の1210円となります。これのおかげで、岡崎→赤塚を東海道新幹線と特急ひたちを利用して行くよりも多少安くなります。なお、所要時間は倍になります。

 

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高蔵寺から多治見までの快速列車

11:50発の中津川行きの快速列車に乗り、多治見へ向かいます。車両は元「銭取られるセントラルライナー」用の313系8000番台でした。車内表示機の「自由」の表示に元々の用途の名残が見て取れます。

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しなの号

さて、多治見駅で今回のメインディッシュの一つでもある「(ワイドビュー)しなの」に乗り換えです。今回乗車したのは多治見駅12:23発のしなの11号、6両編成での運転でした。

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荷物置き場

ちなみに、383系の各車両の長野寄りのデッキから客席に入ってすぐのところには、小さいながらも荷物置き場があります。おそらく、しなの号で木曽谷各地や白馬方面に向かうスキー客向けにスキー板やスノーボードを置くためのスペースとして用意されているものですが、単に大きな荷物を持っている場合にも重宝しますね。

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1枚目:中津川駅付近、2枚目:野尻駅付近

列車移動の醍醐味といえば、移り変わる車窓です。最初は雪など気配もなかったのですが、坂下駅あたりからだんだんと雪がちらちらと見え始め、木曽谷に入るころにはすっかり雪景色となっていました。木曽町や木祖村のあたりが雪のピークで、そこからはだんだん積雪量も減り、松本盆地に出るころには雪もなくなっていました。そのまま、会社・路線境界駅である塩尻駅、長野県内第2位の乗車人員を誇る松本駅と停車していきます。

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松本駅

多治見から同じ号車に乗っていた人は、松本駅までにほとんどが入れ替わりました。しなの号が名古屋→長野の連絡だけでなく、長野県内各都市の連絡列車としての役割も果たしていることが分かります。

ちなみに雪のほうですが、先述の通り松本盆地を走っている間はほぼなく、西条駅姨捨駅にかけて再び積雪が見られました。さて、いよいよこの列車のハイライトとなる区間に差し掛かります。

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善光寺

日本三大車窓の一つ、姨捨駅からの善光寺平の展望でございます。

せっかくなので大きめの画像で。車内からなので若干ガラスの反射やヨゴレもあるような気がしますが、それでもものすごくきれいな風景でした。この日は天気がよかった(もう少し北の日本海沿岸では大雪でしたが)ので、手前の千曲市街地はもちろん、長野市街地やその奥の山々(志賀高原方面?)まで見渡すことができます。もしかしたら、より奥(65km先)の苗場山も写っているかもしれませんね。

さて、姨捨駅を過ぎてしまえば長かったしなのの旅ももう終盤です。篠ノ井駅を出て少しすると終着放送が始まります。この日は先述の通り大雪で、日本海側の路線はいくつか止まっているところがありました。せっかくなので、動画でどうぞ。


長野到着

ワイドビューチャイムを実車で初めて聞いたので、興奮気味のまま長野駅のホームへ降り立ちました。

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長野駅 しなの

長野まで運んでくれた383系くんともここでお別れです。ありがとうね。

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長野駅にて

ここからは北陸新幹線に乗り継ぎです。一応先発のはくたか号にも乗ることができたのですが、長野始発で自由席が1両多いあさまの方が空いていて確実だろうと考え、3分後のあさまで高崎に向かうことに。

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駅そば

この段階で、先行のはくたかが大雪で遅れていることが分かり、その影響で後発のあさまも遅れて発車することが確定していたので、新幹線13・14番線ホームで長野名物信州そばをいただくことに。これは一番安かったかけそば(310円?)です。まさにシンプル・イズ・ベストな味わい。七味唐辛子との相性もバツグンです。

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北陸新幹線の車内

さて、そばを食べ終わった後は早めにあさま622号(ダイヤ上は15:23発、約5分遅れ)に乗り込んでおきましょう。座席は乗り慣れた東海道新幹線とはいろいろ違う点があって面白かったです。また、写真は撮り忘れてしまいましたが偶数号車の東京寄りにはまあまあ大きめの荷物置き場があります。しなの・あさまと自由席に荷物を置ける列車を乗り継げるのも、長野回りを選んだ理由の一つでもあります。

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信州プレミアムサンドボックス

さて、広い机もあるので駅弁タイムと行きましょう。え?さっき駅そば食べてただろ、だって?これには事情がありますが、脚注*1で解説しておきます。また写真は撮り忘れてしまいましたが、どれも普通に美味しかったです。温めればもっと美味しかったような気もします。

あさまは上田、佐久平、軽井沢、安中榛名の各駅に停車し、だいたい50分くらいで高崎駅へ着きます。本音を言えば、軽井沢駅で降りて観光したいところでしたが、特急券は途中で降りると効力が消えてしまうので断念。

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高崎駅にて

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高崎駅にて②

高崎駅に着いたくらいで、ちょうど下りのMaxときが通過していきました。直線で撮りやすかったのですが、設定ミスにより大変なことになってしまったのでリベンジしたいところ。この後は、在来線ホームへ移動して両毛線の列車に乗り込みます。

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両毛線の211系

車両は普段通り211系3000番台です。この写真を撮ったとき、「この駅さっきも来なかったか…?」というへんな違和感に襲われたのですが…

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高…蔵寺駅にて

それもそのはず、5時間くらい前に番台違いの211系を高蔵寺や多治見で見ていました。

暗かったうえに、あんまり在来線の通勤電車の車内で写真を撮るわけにもいかなかったので、両毛線の写真はこれ以上ありません。

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小山駅にて

小山駅で最後の乗り換えです。寝坊していなければ友部駅でも乗り換えが必要でしたが、2時間遅れたおかげ?で常磐線直通の列車に乗ることができました。ここからはラストスパート、水戸線を各駅に止まりながら東へ向かい、友部から常磐線に入り…

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赤塚駅

19:56に下宿の最寄り、赤塚駅に到着。高蔵寺駅を出てから8時間6分の旅路でした。

特急や新幹線に乗っている間はいいのですが、高崎から先3時間以上続く普通列車乗り継ぎに意外と体力を持って行かれる展開でしたね。そのせいもあって、高崎以降の写真が少なくなっています。しかし、車窓や列車自体の変化も楽しい行程になりました。ただ、何度もこのルートを使いたいか…というと微妙なところです。春夏秋冬で各1回ずつくらいがちょうどいいかもしれません。

この記事を書いている途中で思ったことなのですが、一口に「茨城と愛知を行き来する」と言っても、いろいろな方法があり、それぞれに面白いところや困るところがあって、それらについて考えるのも楽しいなと思いました。大学生でいられる残り3年とちょっと、幾度となく茨城と愛知を行き来することになるので、これからも、1つの方法だけではなくていろいろな方法を探してみようと思う次第です。

この記事は以上になります。お読みいただきありがとうございました。

*1:先に新幹線の中で食べようとプレミアムサンドボックスを購入したのですが、なんと下調べ不足のうつけ者、新幹線ホームに蕎麦屋があることを知りませんでした。降りてからそのことに気づき、遅れているならと衝動的にそばを食べた次第です。

茨城県庁に行ってみた話

2020.11.13

なさん、突然ですが自分が住んでいる都道府県の都道府県庁って行ったことありますか?

市役所には用事があるけど、県庁にはあまり用事がない…ということで、あまり行ったことない人の方が多いはずです。かくいう私も、愛知県庁は前を通ったことがあるだけで中に入ったりしたことはないです。

しかしそれは、愛知県庁が名古屋にあり、行くだけで1000円以上のお金とそれなりの時間を取られていたからというのもあります。県庁が家と同じ市内にある今なら、楽々見に行けるのでは?ということで、行ってきました茨城県庁。短い記事になりますがどうぞご覧ください。(正直遠かったなあ)

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茨城県庁舎 行政棟

茨城県庁行政棟です。県の公式サイト「茨城県庁舎の概要」から引っ張ってきた諸元をまとめておきます。

階数と高さ:地上25階・地下2階、116メートル

延床面積:81,000平方メートル

竣工:1999年3月(外構等、建物自体は1998年12月竣工) 2020年現在築21年

なお、茨城県内ではひたちなか市のエレベーター試験塔、G1TOWER(203m)に次ぐ2番目に高い建築物です。また、東京都庁舎(243.0m)、群馬県庁舎(153.0m)に次いで日本で3番目に高い都道府県庁舎だったりします。

最上階は地上約100mの高さの展望台になっています。大平野の北端にズドーンと建つ高層建築なので、眺めはとてもいいんですよ。

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県庁舎最上階展望台から、筑波山方面を望む

こんなふうに、高さの割には遠くまで見通すことができます。晴れていれば富士山まで見えるそうなのですが、夕方だったのもあって筑波山くらいが限界でした。

逆サイドにはカフェコーナーもあり、夜にはなんとアルコール飲料も出るようです。水戸の夜景ってそんなに綺麗なのでしょうか。

25階の展望ロビーから11階へ降りてみます。

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11階から、吹き抜け

画像がものすごく縦長になってしまいましたが…11階から25階までの間が吹き抜けとなっていて、見上げると「おおー」となります。写真には写っていませんが、アトリウムとして何か展示がされていました。期間ごとに変わるのでしょうかね。

他にも、2・3階に県の広報コーナー的なものもあり、まだ知らなかった茨城のことについていろいろと知ることができました。

茨城に限らずですが、みなさんもお住まいの都道府県の庁舎に一度行ってみてはいかがでしょうか?まだ見ぬあなたの県の発見が待っているかもしれませんよ。

再度の自己紹介とブログの再定義

2020.9.1

はようございます。いちとよです。今回ですが、タイトルの通り「自己紹介とブログの定義」をこの段階に来てもう一度やっていこうと思います。一応このブログを作って2年と少し経つのでそろそろやっておいてもいいころかと…それではまず、自己紹介からしていくことにします。今回はひたすら文字だけになるので、読みたいところだけ読んでくださると楽だと思います…

 

改めまして、「いちとよ」と申します。最近は別の名前で活動していることの方が多いですが、あくまでここでは「いちとよ」で通していこうと思います。大学垢バレ?今更気にしませんよもう。

愛知県刈谷市生まれ、豊田市育ち、現在は進学のため茨城県水戸市で一人暮らしです。ときたま、帰省で豊田市にいることもあります。

好きなものは旅行、写真、鉄道趣味諸々、あとアニメとゲームです。動画編集も好きですが、写真撮影と動画撮影を両方こなすというのが私には難しすぎるので、最近は写真に偏重しつつあります。

最初の3つは鉄道から派生したものです。写真に関しては、部活→サークルと続けています。ある意味本業です。

アニメゲーム等のいわゆるサブカル?好きなアニメとしてはまず「きんいろモザイク」が挙げられます。原作もDVDもグッズもそろえていて聖地巡礼も積極的にやっているものは、今のところはきんモザだけです。そのほかのきらら系も履修はできていませんが基本的には好きですね。あとは「ガンダムシリーズ(特に00)」、「頭文字D」なんかも好きですが、このブログではほぼ登場しないと思います。

 

以上、自己紹介となります。これ以降は本ブログの定義となります。

このブログでは、旅行に行った時の記録や、買った物の中で「面白い!」と思ったり、その他自分が紹介したいなと思ったりしたものの紹介をゆるーくやっていくつもりです。毎日とか、毎週の更新はできそうにないです。月に一回は何か新記事を上げられたらいいなと思っています。

次にカテゴリの紹介です。本ブログでは、基本的に4つのカテゴリを運用しています。「自己紹介・お知らせ」「グッズ紹介など」はその通りの内容の記事が入りますが、少し紛らわしいのが「旅行記」と「雑記帳」です。「旅行記」に関しては、朝出て昼出る程度の日帰り旅行、あるいはそれ以上の長さの旅行に関する記録を書き留めていきます。それ以下の長さのお出かけの記録は、他の3つのどれにも分類できないと判断した記事ともども「雑記帳」にぶち込んでいく予定です。

 

現在決まっている定義はこれくらいです。もしかしたらそーっと書き足されてるかもしれませんが、そこまで定期的に確認するほどのものでもないと思います。

 

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

 

「きんいろモザイク」のキャラの名前の由来になった京都市内の通りを全て巡ってみた その③+おまけ

この記事は、前回および前々回の続きです。まだご覧になっていない方はぜひそちらもあわせてご覧ください。

 

ichitoyo-my05.hatenablog.com

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 2020.8.26

条大宮バス停から再開です。ここから先は、各通りがどうこうというよりもどのようにバスを乗り継いでその通りにたどり着くかということばかりになってきますが、なにとぞご了承ください。

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四条大宮バス停6番のりばと、千本旧二条バス停

12:48(推定)です。千本旧二条バス停に着きました。確か市バスの55系統に乗ったはずですが、実際には6,8番のりばから出るバスならどの系統でも千本旧二条にたどり着けるようです。千本旧二条バス停から、「竹屋町通り」と書かれた看板を探します。右上のバス停の画像のちょうど対向のバスで隠れているあたりにあるはずです。その交差点から竹屋町通に入り直進、二条公園に突き当たったら右折、すぐに左折して二条城に沿って竹屋町通を東上します。二条公園から二条城沿いに歩き始めて3つ目に、入り口に駐車場とチェリオの自販機がある通りがあります。これが日暮香奈の苗字の由来、日暮通です。(ここまでに何回二条という言葉が出てきたでしょう!正解は7回でした!)

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日暮通入口 奥に向かっているのが日暮通

 例によって普通の生活道路といった感じでした。時間もないので、日暮通に関しては本当に訪問しただけでおしまいです。

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通りの名前がついた電話線の表記

せっかくなので連番で撮っておきました。これで一応歩いた証拠にはなるはず。

日暮通の解説を載せておきます*1

 

今回は、このまま竹屋町通を東上して堀川通に出て、堀川丸太町バス停から四条烏丸へ向かいます。ちなみに、日暮通と堀川通の間で大宮通の成れの果て猪熊通をもう一度見ることができますよ。

堀川丸太町バス停からは、急行101系統に乗ります。四条烏丸バス停Bのりばに到着です。この時点での時間は13:15です。

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Bのりばは烏丸通の上にあります。烏丸通はもちろん、烏丸さくら先生の苗字の由来です(次のバス停が烏丸松原なんて名前ですね)。通りの名前の看板は、四条烏丸の交差点にありました。

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綾小路通の看板

余談ですが、綾小路通はBのりばからすぐ南にあります。これまでの2回は、毎回ここから綾小路通を西に下り、猪熊→松原→大宮の順で歩いて阪急で烏丸に戻ってくるというルートでやっていました。今回は看板回収のみで済ませ、さっさと東へ行きます。烏丸通りの解説はこちら*2

さて、問題はここからです。本来はここから銀閣寺方面へ向かう32系統に乗れば白川通りへ行けるのですが、何を思ったか私は徒歩で東へ向かいました。この下調べ不足のうつけ者、なんと八坂神社の前の通り(実際は東大路通)を白川通だと勘違いしていたのです。見当違いだと気づいたのは四条河原町マクドナルドの中。「めっちゃ奥やんけ!」と気づいた私は、おとなしく四条河原町バス停からバスに乗ることに。バス停に着いた時点で14:09ごろです。時間かかりすぎ。

Hのりばから5系統のバスに乗り込み、揺られることおよそ15分程度。東天王町バス停で降車します。このバス停は白川通の上にあります。大宮勇の友人・白川湊の苗字の由来です。天王町というと若干のトラウマが蘇りますね

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天王町交差点(奥に行くのが白川通) 看板も当地にある

つまり…ここにきてようやく、きんモザのキャラの名前の由来になった通りを全制覇です!あしかけ3年、3度目の正直!ついに成し遂げたぞ!!!時刻は14:29、出発地点の桂川駅を出て4時間4分が経っていました。いろいろありましたが、傍から見ればただ道を回ってきただけなのにこんなに喜んでいる人間はさぞ怪しく見えたことでしょう。おっと、白川通の解説も忘れずに*3

京都駅へ戻るには乗ってきた5系統の逆行きに乗るか、急行100系統に乗ると楽です。私は100系統に乗り、だいたい30分くらいで着きました。

今回のこの巡礼?の感想ですが、分かり切ったことではあるのですが夏にやるものではなかったですね。

冬に見る方もいると思うので本編中ではあえて言ってきませんでしたが、馬鹿みたいに暑いです。特に、その①にある「桂川駅~久世橋~西大路駅」がキツかったです。

そのことを差し引けば、寺社とは異なる京都の一面が見られてとても面白いですよ。何よりモザラーとして箔が付いた…???ような気がします。ぜひ皆さんは、もっと歩きやすくて風景もきれいなにやってくださいね。

京都市内の通り巡りは以上になります。これ以降は完全におまけです。

帰りに、京都から2駅名古屋方面に行った大津に寄りました。寄ったというか、最初から目的の1つでもありました。何が見たかったかと言いますと…

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 まあこれですわ。京阪京津線。最初に列車と遭遇した時は「実在したのか…」と目を疑いましたが、どうやら大津の人々にとっては日常風景なようです。なんか興奮しながら写真を撮っているストレンジャーな私は、さぞ不審に写ったことでしょう。

…おまけは以上です。その①、その②に比べて異常に(文字数的に)長い記事になってしまいましたが、ここで本記事およびシリーズを終わりといたします。お読みいただきありがとうございました。

 

*1:日暮通は、特に何大路とか何小路とかだったわけではないようです。名称はかつて沿線にあった豊臣秀吉の邸宅・聚楽第の正門「日暮門」に由来します。南の起点は竹屋町通、北の起点は中立売通りと短めの通りです。ところで、日暮通のペアといえる松原通も、秀吉との関連がありましたね。でき過ぎた偶然……なのでしょうか。

*2:烏丸通は、かつての烏丸小路にあたります。北は今宮通から南は久世橋通まで、京都中心部を貫く大通りです。地下鉄烏丸線がほぼ全線にわたり地下を通っています。京都駅の駅前通りとしての役目ももつこの通りは、現在の京都のメインストリートといえるでしょう。南の起点は「久世橋通烏丸」という先生ペア推しにはたまらない名前の交差点となっているので、気になる方は一度行ってみてはいかがでしょうか。

*3:白川通は、京都市内の名有りの通りの中では2番目に東側にある通りです。特に何大路だったとか何小路だったとかはないようです。主要な通りの一つで、一応ファッションストリートらしいのですが、今回行ったのはかなり南の外れだったのでどちらかというと落ち着いた通りといった感じでした。名称は鴨川の支流白川に由来します。

「きんいろモザイク」のキャラの名前の由来になった京都市内の通りを全て巡ってみた その②

この記事は、前回の続きです。前回をご覧になっていない方はぜひ前回もご覧ください。

 

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2020.8.26

都駅から市バス206系統で大宮松原バス停へ向かったところから再開です。206系統自体は京都駅前から3つ目の七条大宮から大宮通に入るのですが、今後の行程も考えて大宮松原まで来ておきました。

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大宮松原のバス停

12:14です。 JRのバス停がでかでかと写っていますが、乗ってきたのは市バスの方です。

さてここ、大宮松原のバス停は、大宮忍の苗字の由来となった大宮通と、松原穂乃花の苗字の由来となった松原通が交わる同名の交差点の脇にあります。

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大宮松原交差点

来た方向(南)に少し戻ると"金髪同盟の聖地"である(?)大宮松原交差点に着きます。太いほうが大宮通です。

今回は、ここで松原通に入ることにします。松原通はひたすらほっそい生活道路といった様相の通りです。個人的にはこういう通りの雰囲気は好きですね。

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ちなみに歩いた区間が短すぎて通りの名前の看板は見つからなかったので、電柱についている電話線かなにかの名前を撮っておきました。

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「猪熊松原」交差点。左右に横切っているのが猪熊通

12:18です。大宮松原から130mほど行った十字路が、松原通猪熊通の交差点です。ちなみに交差点名は他の名有りの交差点をもとに便宜上振ったものです(これ以降のカギカッコ付きの交差点名も同様)。猪熊通はもちろん、猪熊陽子の苗字の由来となった通りです。

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通りの様子と名前がついた電話線の表記

猪熊通もまた、松原通と同じような細めの生活道路です。

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ものすごく長い地名

猪熊通の途中の神社の前に自治会の看板みたいなものがありました。周辺の地名としては「京都市下京区高辻猪熊町」だけでいいような気もするのですが、住所としてはこの通り「京都市下京区猪熊通松原上る高辻猪熊町」と書かなくてはいけないようです。この後長いマンションの名前とかが付こうものなら…考えたくないですね。つくづく京都って不思議なところだなと思います。

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「猪熊綾小路」交差点。左右に横切っているのが綾小路通

12:25になりました。「猪熊松原」交差点から3つ目の交差点が「猪熊綾小路」交差点です。小路綾だけは通りの名前がフルネームになっているんですよね。綾小路なんちゃらになってないところにセンスを感じます。

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綾小路通の様子。近くにはこんな駐車場も。

綾小路通もまた、普通の生活道路といった感じです。心なしか、松原通猪熊通よりももっと細い気がします。近くには「猪熊綾小路」と名付けられた駐車場がいくつかあり、まさに"陽綾の聖地"といった感じです。あんまりぐへぐへしてると近隣の方に怪しまれるので気を付けましょう。

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「大宮綾小路」交差点。太いほうが大宮通

「猪熊綾小路」交差点を右折し、大宮通との交差点に戻ってきました。このあたりは「綾大宮町」という地名だそうです。住みたい。この交差点から大宮通に戻り、北上すると四条大宮交差点に出ます。この交差点の周辺に阪急大宮駅と嵐電四条大宮駅があります。

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大宮通の通り名の看板

四条大宮に出た時点で12:29になっていました。この交差点に大宮通の通り名の看板があったのでサクッと回収。普段はここで阪急に乗って烏丸駅へ向かうことが多いのですが、今回は直で日暮通へ向かうため(記憶が正しければ)55系統に乗り込み千本旧二条バス停へ向かうことにしました。(その③へ続く…)

大宮通*1松原通*2猪熊通*3綾小路通*4の説明を載せておきます。

 

最後に余談をもう一つ。

ある意味仲間外れ的な存在になってしまっているアリス・カータレット。当然京都市内にアリス通やカータレット通なんて存在しませんし、原作者の原悠衣先生も「カータレットはなんとなくです」と公言していらっしゃいます。なんとかならないものか…と考えたところ、嵐電に「有栖川駅」があるとのことなので四条大宮駅嵐電の路線図を撮ってきました。

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四条大宮駅で撮った嵐電の路線図

ちゃんとありました。有栖川駅です。本当は行こうかとも思ったのですが、時間の都合で断念。残念無念。にしても、四条「大宮」駅と「有栖」川駅が同じ路線に…運命を感じマース…

*1:大宮通は、かつての平安京東大宮大路に当たる通りです。なお、かつての西大宮大路は現在は御前通の一部にあたります。上賀茂のあたりから地下鉄竹田駅付近まで文字通りに京都を南北に貫く通りです。四条大宮~九条大宮と十条大宮~竹田駅手前までは4車線で、主要道路と言えるでしょう。

*2:松原通は、(寺町通より西側は)かつての五条大路に当たる通りです。もともとは五条松原通と呼ばれていましたが、豊臣秀吉が五条の橋を現在の位置に架けたことで五条通はそちらへ移りました。つまり、源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が出会った「五条の大橋」は現在の松原橋ということになりますね。余談ですが、「清水坂」も正確には松原通なのだそうで。清水寺付近は小学校の頃から何度か訪れています。知らず知らず聖地巡礼を果たしていたとは…。さらにほぼ関係ない話ですが、私は昔草加「松原」で有名な草加市に住んでいたことがあります。

*3:猪熊通は、平安京の猪隈小路にあたる通りです。全線に渡って住宅街の中を通る細い通りで、特に何かがあるわけでもないようです。個人的にはどうして「猪隈」なんて名前が付き、さらにそれが「猪熊」なんて強そうな名前の通りになったのか少し気になるところではあります。

*4:綾小路通は、その名の通りかつての綾小路にあたる通りです。理由はよくわかりませんが裕福な商人が沿線に多く住んでいたそうです。また、壬生浪士組新選組の壬生屯所(八木邸、前川邸など)があったりと歴史の舞台にもなった通りです。なお現在は細い生活道路になっています。