「きんいろモザイク」のキャラの名前の由来になった京都市内の通りを全て巡ってみた その②
この記事は、前回の続きです。前回をご覧になっていない方はぜひ前回もご覧ください。
2020.8.26
京都駅から市バス206系統で大宮松原バス停へ向かったところから再開です。206系統自体は京都駅前から3つ目の七条大宮から大宮通に入るのですが、今後の行程も考えて大宮松原まで来ておきました。
12:14です。 JRのバス停がでかでかと写っていますが、乗ってきたのは市バスの方です。
さてここ、大宮松原のバス停は、大宮忍の苗字の由来となった大宮通と、松原穂乃花の苗字の由来となった松原通が交わる同名の交差点の脇にあります。
来た方向(南)に少し戻ると"金髪同盟の聖地"である(?)大宮松原交差点に着きます。太いほうが大宮通です。
今回は、ここで松原通に入ることにします。松原通はひたすらほっそい生活道路といった様相の通りです。個人的にはこういう通りの雰囲気は好きですね。
ちなみに歩いた区間が短すぎて通りの名前の看板は見つからなかったので、電柱についている電話線かなにかの名前を撮っておきました。
12:18です。大宮松原から130mほど行った十字路が、松原通と猪熊通の交差点です。ちなみに交差点名は他の名有りの交差点をもとに便宜上振ったものです(これ以降のカギカッコ付きの交差点名も同様)。猪熊通はもちろん、猪熊陽子の苗字の由来となった通りです。
猪熊通の途中の神社の前に自治会の看板みたいなものがありました。周辺の地名としては「京都市下京区高辻猪熊町」だけでいいような気もするのですが、住所としてはこの通り「京都市下京区猪熊通松原上る高辻猪熊町」と書かなくてはいけないようです。この後長いマンションの名前とかが付こうものなら…考えたくないですね。つくづく京都って不思議なところだなと思います。
12:25になりました。「猪熊松原」交差点から3つ目の交差点が「猪熊綾小路」交差点です。小路綾だけは通りの名前がフルネームになっているんですよね。綾小路なんちゃらになってないところにセンスを感じます。
綾小路通もまた、普通の生活道路といった感じです。心なしか、松原通や猪熊通よりももっと細い気がします。近くには「猪熊綾小路」と名付けられた駐車場がいくつかあり、まさに"陽綾の聖地"といった感じです。あんまりぐへぐへしてると近隣の方に怪しまれるので気を付けましょう。
「猪熊綾小路」交差点を右折し、大宮通との交差点に戻ってきました。このあたりは「綾大宮町」という地名だそうです。住みたい。この交差点から大宮通に戻り、北上すると四条大宮交差点に出ます。この交差点の周辺に阪急大宮駅と嵐電四条大宮駅があります。
四条大宮に出た時点で12:29になっていました。この交差点に大宮通の通り名の看板があったのでサクッと回収。普段はここで阪急に乗って烏丸駅へ向かうことが多いのですが、今回は直で日暮通へ向かうため(記憶が正しければ)55系統に乗り込み千本旧二条バス停へ向かうことにしました。(その③へ続く…)
大宮通*1、松原通*2、猪熊通*3、綾小路通*4の説明を載せておきます。
最後に余談をもう一つ。
ある意味仲間外れ的な存在になってしまっているアリス・カータレット。当然京都市内にアリス通やカータレット通なんて存在しませんし、原作者の原悠衣先生も「カータレットはなんとなくです」と公言していらっしゃいます。なんとかならないものか…と考えたところ、嵐電に「有栖川駅」があるとのことなので四条大宮駅で嵐電の路線図を撮ってきました。
ちゃんとありました。有栖川駅です。本当は行こうかとも思ったのですが、時間の都合で断念。残念無念。にしても、四条「大宮」駅と「有栖」川駅が同じ路線に…運命を感じマース…
*1:大宮通は、かつての平安京の東大宮大路に当たる通りです。なお、かつての西大宮大路は現在は御前通の一部にあたります。上賀茂のあたりから地下鉄竹田駅付近まで文字通りに京都を南北に貫く通りです。四条大宮~九条大宮と十条大宮~竹田駅手前までは4車線で、主要道路と言えるでしょう。
*2:松原通は、(寺町通より西側は)かつての五条大路に当たる通りです。もともとは五条松原通と呼ばれていましたが、豊臣秀吉が五条の橋を現在の位置に架けたことで五条通はそちらへ移りました。つまり、源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が出会った「五条の大橋」は現在の松原橋ということになりますね。余談ですが、「清水坂」も正確には松原通なのだそうで。清水寺付近は小学校の頃から何度か訪れています。知らず知らず聖地巡礼を果たしていたとは…。さらにほぼ関係ない話ですが、私は昔草加「松原」で有名な草加市に住んでいたことがあります。
*3:猪熊通は、平安京の猪隈小路にあたる通りです。全線に渡って住宅街の中を通る細い通りで、特に何かがあるわけでもないようです。個人的にはどうして「猪隈」なんて名前が付き、さらにそれが「猪熊」なんて強そうな名前の通りになったのか少し気になるところではあります。
*4:綾小路通は、その名の通りかつての綾小路にあたる通りです。理由はよくわかりませんが裕福な商人が沿線に多く住んでいたそうです。また、壬生浪士組→新選組の壬生屯所(八木邸、前川邸など)があったりと歴史の舞台にもなった通りです。なお現在は細い生活道路になっています。